代表挨拶

代表挨拶 2020-04-01T14:19:27+09:00

オーネスティグループ代表

大舘 誠

オーネスティグループ代表

大舘 誠

社員の幸せを実現できる会社

「会社を通じて一人一人の社員が幸せになる」

私が考える「社員の幸せ」とは、

①収入
②家族の幸せ
③仕事のやりがい

であり、この3つを実現できる会社を目指しています。

私にとって会社とは、社員の自己実現の場であり仕事を通して自分の未知なる可能性にチャレンジできる場です。

そして、社員一人ひとりの可能性を存分に発揮できる舞台を準備し、ときに背中を押しながら社員の成長を応援することが、私の仕事です。

社員自ら考えて仕事をすることを重視しているので、一方的な命令はしません。
指示されて動くのではなく、自ら考えて動く。

そうすることで、自分の可能性に自分で気付くことができ達成感も味わえ、仕事のやりがいというものが自分の中から湧き出てくるからです。

仕事のやりがいは、結果だけではなく、ある目標に向けて自ら考え行動しその過程を楽しむことにあります。

ときに想い通りにいかないことも上手くいかないこともあるでしょう。
でも、この「想い通りにならないこと」こそが、仕事の醍醐味であり、自分の未知なる可能性に気付かせてくれる種なのです。

想い通りにならない代表格といえば「人間関係」でしょうか。
仕事が想うようにいかないことは、実は大した悩みではありません。
人間関係が上手くいっていれば、仕事の悩みはすぐに解決できるのです。

外食業界は、学生アルバイトやフリーターに主婦や元有識者など、年齢も学歴も元肩書きもバラエティに飛んでおり、同じ目的や目標に向かってチーム作りをすることは、他業種に比べてとても壁が高いものがあります。

でも、だからこそ、とてもやりがいがあり、みんなの心が一つになって目的を果たし目標をクリアできたときの達成感は、何ものにも代えがたいものになるのです。

心が一つになった最高のチームは、お客様を元気にし、お客様の家庭や家族も元気にし、それが地域の人たちも、そして果ては日本や世界までをも元気にします。

「世界を元気にする最高のチームは、一人の社員の想いからスタートする」

それを支える会社であり、あり続けることが弊社の使命です。

社員の幸せを実現できる会社

私が考える「社員の幸せ」とは、

①収入
②家族の幸せ
③仕事のやりがい

であり、この3つを実現できる会社を目指しています。

 

私にとって会社とは、社員の自己実現の場であり
仕事を通して自分の未知なる可能性にチャレンジできる場です。

そして、社員一人ひとりの可能性を存分に発揮できる舞台を準備し、
ときに背中を押しながら社員の成長を応援することが、私の仕事です。

 

社員自ら考えて仕事をすることを重視しているので、一方的な命令はしません。
指示されて動くのではなく、自ら考えて動く。

そうすることで、自分の可能性に自分で気付くことができ達成感も味わえ
仕事のやりがいというものが自分の中から湧き出てくるからです。

 

仕事のやりがいは、結果だけではなく、
ある目標に向けて自ら考え行動しその過程を楽しむことにあります。

ときに想い通りにいかないことも上手くいかないこともあるでしょう。
でも、この「想い通りにならないこと」こそが、仕事の醍醐味であり、
自分の未知なる可能性に気付かせてくれる種なのです。

 

想い通りにならない代表格といえば「人間関係」でしょうか。
仕事が想うようにいかないことは、実は大した悩みではありません。
人間関係が上手くいっていれば、仕事の悩みはすぐに解決できるのです。

 

外食業界は、学生アルバイトやフリーターに主婦や元有識者など、
年齢も学歴も元肩書きもバラエティに飛んでおり、
同じ目的や目標に向かってチーム作りをすることは、
他業種に比べてとても壁が高いものがあります。

でも、だからこそ、とてもやりがいがあり、
みんなの心が一つになって目的を果たし目標をクリアできたときの達成感は、何ものにも代えがたいものになるのです。

 

心が一つになった最高のチームは、
お客様を元気にし、お客様の家庭や家族も元気にし、
それが地域の人たちも、そして果ては日本や世界までをも元気にします。

 

「世界を元気にする最高のチームは、一人の社員の想いからスタートする」

 

それを支える会社であり、あり続けることが弊社の使命です。

大舘誠

同じ職場で働けるというご縁の奇蹟

同じ職場で一緒に働けるというのは、素晴らしい奇蹟です。

あなたと「ご縁」があったからこそ、会社という舞台であなたと共に人生にチャレンジしていけるのです。

人にはそれぞれ生まれてきた使命があります。
言葉を変えれば、「自分らしく生きること」でしょうか。

しかし、育ってきた環境からの想い込みや親や学校の先生などからの周りの期待に応えようとすることで自分の使命からどんどん逸れた生き方を選択してしまいます。

でも、それは自分が悪いわけではありません。
その生き方しか知らなかったから、そう生きているだけなのです。

でも、あるとき「自分の生き方はこれでいいのだろうか?」
と違和感を覚えることが出てくるでしょう。

それが自分にとって苦しいと想うこと、すなわち「想い通りにいかないこと」であり、「想い通りにいかないこと」は、自分の人生をマイナスにしているのではなく自分らしく生きることを気付かせてくれるとても大切な存在なのです。

 

想い通りにならないことのおかげで自分の内面を振り返り、自分の心と対話し、自分の心のクセを見直して成長し、自分らしく生きていく選択をすることができるようになっていきます。

モノの見方や考え方、つまり、自分の在り方・生き方が、自分の人生を作っていくのです。

 

家庭や社会、学校が、ものの見方や考え方を教えてくれて、また学ぶことができる「心の成長」の舞台であってほしいと想いますが、現実は、テストの点数が優先され、家族で暮らしていても食事はバラバラで、隣には誰が住んでいるのか分からない、というのが実情ではないかと想います。

 

弊社では、同じ職場で働けるというご縁の奇蹟に感謝ができ、奇蹟的に出会えた社員同士が切磋琢磨し合いながら、自らの使命に向き合える職場でありたい、と想っております。

また、社員一人ひとと向き合いながら見守り応援することで私自身が一番成長させて頂いているといつも感謝しています。

 

もともと、私はお酒が飲めなかったのですが、社員やお客様と人生を語りながら一緒にお酒を飲んでいたら不思議と飲めるようになっていました。
悩みを共有し一緒に考え、そして夢を語りあいながらのお酒が一番美味しい。

あなたとも、仕事のこと、人生のことなど、お酒を飲みながら一緒に語り合えたら、これ以上に最高なことはありません。

大舘誠

同じ職場で働けるというご縁の奇蹟

同じ職場で一緒に働けるというのは、素晴らしい奇蹟です。

あなたと「ご縁」があったからこそ、
会社という舞台であなたと共に人生にチャレンジしていけるのです。

人にはそれぞれ生まれてきた使命があります。
言葉を変えれば、「自分らしく生きること」でしょうか。

しかし、育ってきた環境からの想い込みや
親や学校の先生などからの周りの期待に応えようとすることで
自分の使命からどんどん逸れた生き方を選択してしまいます。

でも、それは自分が悪いわけではありません。
その生き方しか知らなかったから、そう生きているだけなのです。

でも、あるとき「自分の生き方はこれでいいのだろうか?」
と違和感を覚えることが出てくるでしょう。

それが自分にとって苦しいと想うこと、すなわち「想い通りにいかないこと」であり、
「想い通りにいかないこと」は、自分の人生をマイナスにしているのではなく
自分らしく生きることを気付かせてくれるとても大切な存在なのです。

 

想い通りにならないことのおかげで自分の内面を振り返り、
自分の心と対話し、自分の心のクセを見直して成長し、
自分らしく生きていく選択をすることができるようになっていきます。

モノの見方や考え方、つまり、
自分の在り方・生き方が、自分の人生を作っていくのです。

 

家庭や社会、学校が、ものの見方や考え方を教えてくれて、
また学ぶことができる「心の成長」の舞台であってほしいと想いますが、
現実は、テストの点数が優先され、家族で暮らしていても食事はバラバラで、
隣には誰が住んでいるのか分からない、というのが実情ではないかと想います。

 

弊社では、同じ職場で働けるというご縁の奇蹟に感謝ができ、
奇蹟的に出会えた社員同士が切磋琢磨し合いながら、
自らの使命に向き合える職場でありたい、と想っております。

 

また、社員一人ひとと向き合いながら見守り応援することで
私自身が一番成長させて頂いているといつも感謝しています。

 

もともと、私はお酒が飲めなかったのですが、
社員やお客様と人生を語りながら一緒にお酒を飲んでいたら不思議と飲めるようになっていました。
悩みを共有し一緒に考え、そして夢を語りあいながらのお酒が一番美味しい。

あなたとも、仕事のこと、人生のことなど、
お酒を飲みながら一緒に語り合えたら、これ以上に最高なことはありません。

人生を変えた、ある経営者との出会い

私は、昭和41年11月、埼玉県所沢市に生まれ、不器用ながらも誠実で実直な父と、家族のため子供のために一生懸命生きている素晴らしい母の元で育ちました。

子供の頃は決して裕福ではなかったけれど、周りの愛情に支えられ何不自由なく育つことができました。

子供の頃、何かあるとすぐに泣いて両親を困らせていた私は、外向的な明るい性格というよりは内向的な性格でした。
正直、今でも人付き合いが苦手な面もあります。

学生時代にはお寿司屋さんのアルバイトをし、イキのいい旦那さん(経営者)と、面倒見のいい板前さんや先輩達に恵まれ、とても楽しくてやりがいのある時間を過ごしました。

それとは対照的に、店に来られるお客様は勤め帰りのサラリーマンが多く、会社の不平不満や上司の悪口、陰口でうっぷんを晴らしているように見え、毎日充実し活き活きしているお寿司屋さんの旦那さん(経営者)の存在が、より一層眩しくみえたものでした。

これからの人生を生きるにあたり、多くの時間を費やす仕事は決して後悔のないものにしたい。

そのためには、人に使われているよりは自分の想うように仕事をやって生きたい。

 

「経営者」になりたい。

 

学生時代の私の決断でした。

そして、大阪の本多企業株式会社という会社に入社しました。
当時の経営者であった本多社長は、『社員は全員独立させる。我社は経営者養成学校だ』という変わった方針で、私が入社した当時は異色の会社でもありました。そこで私は、本多社長から徹底的に「経営者」としての考え方や在り方を鍛えてもらいました。

 

「企業はやっぱり人やね」

 

本多社長の口癖です。
そこで8年半勤務し、本多社長はじめ、先輩たちの厳しくも暖かい指導のおかげで平成9年9月独立開業させて頂くことが出来ました。

この期間は本当に大切で貴重な期間であり、私のいたらなさを痛感した期間でもありました。

独立して仕事を進める中で初めて「私の社員」を採用しました。
「私の社員」は本当に頭が下がるくらい一生懸命に働いてくれました。
決して高給というわけでもないのに、体を張って一生懸命メニューの開発やスタッフの教育を頑張ってくれて、なんて素晴らしい人たちだろう!いつも感謝して、心から感動しておりました。

 

今頑張っている社員を幸せにしたい。
社員が幸せになれる会社にしたい。

 

私の想いの原点です。

人生を変えた、ある経営者との出会い

私は、昭和41年11月、埼玉県所沢市に生まれ、
不器用ながらも誠実で実直な父と、家族のため子供のために
一生懸命生きている素晴らしい母の元で育ちました。

 

子供の頃は決して裕福ではなかったけれど、
周りの愛情に支えられ何不自由なく育つことができました。

子供の頃、何かあるとすぐに泣いて両親を困らせていた私は、
外向的な明るい性格というよりは内向的な性格でした。
正直、今でも人付き合いが苦手な面もあります。

学生時代にはお寿司屋さんのアルバイトをし、
イキのいい旦那さん(経営者)と、面倒見のいい板前さんや先輩達に恵まれ、
とても楽しくてやりがいのある時間を過ごしました。

それとは対照的に、店に来られるお客様は勤め帰りのサラリーマンが多く、
会社の不平不満や上司の悪口、陰口でうっぷんを晴らしているように見え、
毎日充実し活き活きしているお寿司屋さんの旦那さん(経営者)の存在が、より一層眩しくみえたものでした。

 

これからの人生を生きるにあたり、
多くの時間を費やす仕事は決して後悔のないものにしたい。

そのためには、人に使われているよりは
自分の想うように仕事をやって生きたい。

 

「経営者」になりたい。

 

学生時代の私の決断でした。

 

 

そして、大阪の本多企業株式会社という会社に入社しました。
当時の経営者であった本多社長は、

『社員は全員独立させる。我社は経営者養成学校だ』

という変わった方針で、私が入社した当時は異色の会社でもありました。
そこで私は、本多社長から徹底的に「経営者」としての考え方や在り方を鍛えてもらいました。

 

「企業はやっぱり人やね」

 

本多社長の口癖です。
そこで8年半勤務し、本多社長はじめ、
先輩たちの厳しくも暖かい指導のおかげで
平成9年9月独立開業させて頂くことが出来ました。

 

この期間は本当に大切で貴重な期間であり、
私のいたらなさを痛感した期間でもありました。

独立して仕事を進める中で初めて「私の社員」を採用しました。
「私の社員」は本当に頭が下がるくらい一生懸命に働いてくれました。
決して高給というわけでもないのに、
体を張って一生懸命メニューの開発やスタッフの教育を頑張ってくれて、
なんて素晴らしい人たちだろう!いつも感謝して、心から感動しておりました。

 

今頑張っている社員を幸せにしたい。
社員が幸せになれる会社にしたい。

 

私の想いの原点です。

大舘誠

略歴

大舘 誠

1966年11月生まれ。埼玉県出身。
オーネスティグループ代表。

学生時代のアルバイト経験から「経営者になる」と決意。

大学卒業後、『社員は全員独立させる。我社は経営者養成学校だ』という方針を持つ大阪にある本多企業㈱に入社し、約8年後に独立。独立第一号店は宮城県仙台市にオープン。

『社員の幸せを実現する会社』という経営理念のもと、社員にやりがいを持って働いてもらい、また人間的に大きく成長できる環境を作るべく、多店舗展開に力を入れる。

ショッピングモール中心の出店から、2015年には初の路面店「三陸ワイン食堂・レアーレ」を横浜菊名にオープンし、「日本を元気に!」のスローガンのもと東北復興支援にも力を入れる。

2017年5月には、コッペパン専門店の「(食)盛岡製パン」の第1号店を千葉県行徳市にオープン。行列ができる店としてメディアに多数取り上げられ、同年9月には東京都狛江市に第2号店をオープン。

2018年1月現在、グループで12店舗の飲食店を経営。プライベートでは二児の父。至福のときは、ワインを飲みながら家族や社員、お客様と語ること。